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藤原宗平[ふじわら の むねひら]
藤原 宗平(ふじわら の むねひら)は鎌倉時代前期から中期にかけての公卿。左近衛中将・藤原宗経の長男。 == 経歴 == 建永2年(1207年)従五位下に叙爵。承元4年12月(1211年1月)侍従に任ぜられ、建暦2年(1212年)には父・宗経の左近衛中将辞任と替わって右近衛中将に任官。建暦3年(1213年)に尾張介を経て、建保2年(1214年)従五位上に昇叙。 建保5年(1217年)正五位下に叙せられる。建保6年(1218年)備前介を務め、承久元年12月(1220年1月)従四位下に昇叙。承久2年(1220年)右近衛少将となり、承久4年(1222年)従四位上、元仁2年(1225年)正四位下と順調に昇進を重ね、嘉禄2年(1226年)に右近衛中将、嘉禄3年(1227年)に伊予介、寛喜4年(1232年)に美作介を兼ね、文暦元年12月(1235年1月)蔵人頭に補任。嘉禎2年(1236年)従三位・参議に叙任されて公卿に列した。嘉禎3年(1237年)美作権守を兼帯。 嘉禎4年(1238年)正月、正三位に進むが、4月に参議を辞任した。仁治元年(1240年)に従二位に叙せられるが、仁治4年(1243年)出家した。文永8年(1271年)4月1日に薨去。享年75。
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