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藤原宗能 : ウィキペディア日本語版
藤原宗能[ふじわら の むねよし]
藤原 宗能(ふじわら の むねよし、応徳2年(1085年) - 嘉応2年2月11日1170年2月28日))は、平安時代後期の公卿。本名は宗隆藤原北家中御門流、右大臣藤原宗忠の長男。官位正二位内大臣中御門内大臣と号した。
== 経歴 ==
永長2年(1097年叙爵左兵衛佐近衛少/中将等の武官や、堀河鳥羽天皇蔵人を経て、大治5年(1130年蔵人頭に任ぜられる。天承元年(1131年参議に任ぜられ公卿に列す。天承2年(1132年従三位長承3年(1134年)権中納言保延5年(1139年)正三位次いで従二位に叙任される。崇徳朝において、極官は権中納言かつ天皇の外戚でもないにもかかわらず、政治に強い影響力を持ち「わきの関白」の異名で呼ばれた〔『今鏡』藤波の下 第六 唐人の遊び〕。
康治2年(1143年)正二位久安5年(1149年権大納言保元元年(1156年)には、重篤となっていた鳥羽法皇に対し、その死後予想される兵乱に備えるよう奏上した〔『愚管抄』〕。実際に、同年7月の鳥羽法皇崩御後まもなく保元の乱が発生している。同年9月大納言に昇進したのちは、摂関家近衛基実松殿基房兄弟や閑院流三条公教徳大寺公能らに大臣の座を巡って次々と先を越されるが、応保元年(1161年)77歳にして内大臣に任ぜられる。長寛2年(1164年)子息の宗家の正三位叙位と引き替えに内大臣を辞任する。
仁安3年(1168年)6月12日出家

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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