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藤原定実[ふじわら の さだざね] 藤原 定実(ふじわら の さだざね、康平6年(1063年) - 天承元年2月1日(1131年3月1日))は、平安時代後期の貴族。権中納言・藤原伊房の子。官位は従四位上・右京大夫。世尊寺家第4代当主。 == 経歴 == 治暦4年(1068年)7月19日に叙爵を受け、承保4年(1077年)に侍従に任じられる。その後、近衛少将を経て寛治4年(1090年)8月10日に右京大夫に任じられ、承徳元年(1097年)1月5日に従四位上に叙される。権中納言に昇った父・伊房が私貿易を咎められ寛治8年(1094年)に解官されたこともあり、昇進面では不遇で最終官位は従四位上・土佐権守に止まった。元永2年(1119年)1月22日に病のために出家している〔『中右記』元永2年正月二十二日条。〕。 天承元年(1131年)2月1日卒去。享年69。 この間、承保2年(1075年)に父・伊房が書写した『北山抄』(前田育徳会蔵)の校合を行ったことが知られ、他にも康和4年(1102年)の右大臣藤原忠実の上表及び尊勝寺落慶供養の願文の清書役を務め、天仁元年(1108年)の鳥羽天皇大嘗会の悠紀主基屏風の色紙形を執筆したことが知られている。 今日、定実の真蹟と確実に認めることができる筆蹟は遺されていない。しかし、先の『北山抄』における定実自筆の奥書と同筆の古筆類が多く残り、これらは定実の筆だと考えられる。元永3年(1120年)7月24日に作成されたとされている『元永本古今和歌集』は定実による写本とする有力説がある。
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