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藤原実教 : ウィキペディア日本語版
藤原実教[ふじわらみのるきょう]

藤原 実教(ふじわら の さねのり)は、藤原北家魚名流、中納言藤原家成の六男。
== 経歴 ==
参議藤原公親の猶子となる。久寿3年(1156年)に従五位下叙爵仁安3年(1168年)従五位上・近江守に叙任され、嘉応3年(1171年)に右衛門佐に任ぜられる。
承安2年(1172年)、左近衛権少将に任ぜられ、信濃守を兼ねる。承安3年(1173年正五位下、承安4年(1174年従四位下に叙される。治承元年(1177年)従四位上に昇叙され、齋院長官に任ぜられる。寿永2年(1183年正四位下・右近衛中将に叙任されて文治2年(1186年蔵人頭に補任される。
文治4年(1188年)に参議となり公卿に列す。文治5年(1189年従三位播磨権守に叙任。さらに建久元年(1190年)には正三位・左近衛中将に叙任され、左兵衛督・右衛門督・皇太后宮大夫を歴任。正治元年(1199年正二位権中納言に進む。建仁2年(1202年)には中納言に転じ、承元2年(1208年按察使を兼任する。
建暦2年(1212年)に出家。以後も処々に出仕を続けたという〔『明月記嘉禄3年4月3日条〕。嘉禄3年(1227年)3月26日に病を発し、4月3日の朝に薨去した。享年78。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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