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藤原師尹 : ウィキペディア日本語版
藤原師尹[ふじわら の もろただ]

藤原 師尹(ふじわら の もろただ)は平安時代中期の公卿摂政関白太政大臣藤原忠平の五男。小一条流の祖。
== 生涯 ==
天慶9年(946年参議となる。同年備前に補任。天暦2年(948年)権中納言。天暦5年(951年)中納言。
娘の芳子村上天皇に入内させ、天徳2年(958年女御の宣下を受ける。芳子は容貌すぐれて天皇の寵愛が深く昌平親王永平親王を産むが、いずれも病弱であったため東宮にはなれなかった。
天徳4年(960年)権大納言康保3年(966年)大納言。
康保4年(967年)村上天皇の崩御に伴い冷泉天皇即位すると、関白太政大臣に長兄の実頼左大臣源高明右大臣には師尹が就いた。師尹は実頼と謀って、妃が高明の娘である年長の為平親王を外して、守平親王を東宮に立てた。
安和2年(969年)3月、為平親王を奉じて乱を起こそうとしているとの謀反の密告により、左大臣源高明が失脚した(安和の変)。師尹は高明に代わって左大臣に昇るが、その半年後の同年10月に発音障害を伴う病により薨御した〔「声ノ失ル病」『源平盛衰記』〕。
安和の変は高明の失脚を謀った師尹の企みであったとされ、左大臣昇任後一年もたたずに薨御したことについて、世間では高明の恨みによる物と噂された〔『大鏡』第二巻,左大臣師尹〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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