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藤原当幹 : ウィキペディア日本語版
藤原当幹[ふじわら の まさもと]

藤原 当幹(ふじわら の まさもと)は、平安時代前期から中期にかけての公卿右兵衛督藤原良尚の九男。
== 経歴 ==
昌泰元年(898年)35歳で文章生に補せられると、左衛門少尉六位蔵人を歴任し、延喜4年(904年従五位下下野守に叙任され地方官に転じる。
延喜9年(909年左大臣藤原時平の没後まもなく左衛門権佐として京官に復帰すると、延喜10年(910年)従五位上・右少弁、延喜13年(913年)左少弁、延喜15年(915年正五位下、延喜17年(917年従四位下と、醍醐朝中期には弁官を務めながら順調に昇進する。のち右京大夫大宰大弐を経て、延喜23年(923年)60歳で参議に任ぜられ公卿に列した。
延長3年(925年)以降、醍醐朝末から朱雀朝にかけて、議政官として長く治部卿を兼ねる一方、延長6年(928年)従四位上、承平4年(934年正四位下と昇進し、承平7年(937年従三位に至る。年来からの病気により公務を勤められないとして、天慶4年(941年)2月以降辞官を請うていたが、同年11月4日八坂東院にて薨去享年78。最終官位は参議従三位治部卿。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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