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藤原 忠成(ふじわら の ただなり、寛治5年(1091年) - 保元3年(1158年)10月)は平安時代後期の貴族。藤原北家御子左流、権中納言・藤原俊忠の子。官位は正五位下・民部大輔。 == 経歴 == 鳥羽・崇徳・近衛・後白河・二条の5帝に仕え、久安3年(1147年)民部大輔に任ぜられるが官位には恵まれず正五位下・民部大輔止まりであったが、子の光能は参議に昇っている。他に少納言や治部少輔も務めた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「藤原忠成」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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