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藤原 忠経(ふじわら の ただつね、生年不詳 - 長和3年(1014年))は、平安時代中期の貴族。藤原北家、権大納言・藤原道頼の子。官位は従四位下・左近衛少将。 == 経歴 == 童名は薬勢〔『権記』長保2年12月13日条〕。父・道頼が長徳元年(995年)に没していたことから、大叔父の藤原道長の後見を受け長保2年12月(1001年1月)に元服する。翌長保3年(1001年)従五位下・侍従に叙任されると、左兵衛佐・左近衛少将といった武官や五位蔵人を経て、寛弘8年(1011年)までに従四位下に至る。 寛弘3年(1006年)と長和2年(1013年)の二度に亘り、賀茂祭の勅使を務めた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「藤原忠経」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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