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藤原房前 : ウィキペディア日本語版
藤原房前[ふじわら の ふささき]

藤原 房前(ふじわら の ふささき)は、飛鳥時代から奈良時代前期にかけての貴族藤原不比等の二男。官位正三位行参議正一位太政大臣

== 生涯 ==
藤原北家の始祖で万葉には藤原北卿とあり、大伴旅人への答歌等が見られる。政治的力量は不比等の息子達の間では随一であり、大宝703年)には20代前半にして、律令施行後初めて巡察使となり、東海道の行政監察を行った。その後も兄武智麻呂と同時に昇進していたが、元明朝末期から元正朝初期にかけての高官の薨去穂積親王大伴安麿石上麻呂巨勢麻呂)を受けて、霊亀3年(717年)に武智麻呂に先んじて参議となった。これは、参議以上の議政官は各豪族から1名ずつという当時の慣習を破っての昇進でもあった(房前の昇進により、右大臣である不比等を加えて、藤原氏の公卿は2人となった〔このため、不比等の嫡男を兄の武智麻呂ではなく房前とする学説が出されたこともあるが、これに対して各豪族から1名ずつという慣習が守られていたからこそ、嫡男の武智麻呂が父の生存中は議政官には昇進できなかったとする意見や房前を直前に薨去した巨勢麻呂の後任と考えて、当時「東国問題」担当の議政官の枠が存在していたとする説などの反論が出されている。〕)。元明上皇が死の床で祖父・鎌足以来の内臣に任じて、皇太子首皇子の後見役を託したのもその才能を見越しての事であった。なお、当時、内臣は正式な役職ではなく、元正天皇が首皇子に譲位した時点で任を解かれたとする意見もある。
甥の聖武天皇即位後、天平元年(729年)に皇親勢力の巨頭で政敵であった長屋王を失脚させ(長屋王の変)、藤原四子政権の中心人物として、他の兄弟とともに政権を主導した。その後、長兄である武智麻呂(正二位・左大臣)との兼ね合いから、正式な位階・役職としては正三位・参議が極官のまま、他の兄弟に先んじて天然痘に倒れた。
房前の子孫である藤原北家は、藤原四兄弟の子孫藤原四家の中で最も繁栄した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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