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藤原敦家(ふじわら の あついえ)は、平安時代後期の廷臣、雅楽家。 蔵人頭、左馬頭、伊予守などを歴任。『尊卑分脈』に「管絃得名楽道之名匠」とあり、神楽・朗詠・今様に堪能であったとされる〔『相承次第』政長左注〕。特に、和邇部用光に学び、秘曲「臨調子」を伝授されたという〔「デジタル版 日本人名大辞典+Plus 」〕篳篥の腕前は素晴らしく「本朝篳篥一芸相伝棟梁」と評された〔『尊卑分脈』〕。 寛治4年(1090年)、金峯山で頓死した〔『尊卑分脈』。『相承次第』政長左注は、亡くなった場所を「熊野」とする。〕ことも、『梁塵秘抄口伝集』〔馬場光子 『梁塵秘抄口伝集』 2010年 講談社〕巻第十で「敦家、こゑめでたくて御嶽に召しとどめられて御眷属となり」と評されている。 == 系譜 == *父:藤原兼経 *母:藤原隆家の娘 *妻:藤原兼子 (伊予三位) - 藤原顕綱(異母兄)の娘、堀河天皇乳母 *男子:藤原敦兼(1079-?) *女子:藤原俊忠室 - 藤原俊成の母 *妻: 藤原良貞(備後守)の娘 *男子:藤原敦俊(1063-1125) - 上総介従五位上 *男子:定円 - 少僧都、興福寺権別当 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「藤原敦家」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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