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藤原 有年(ふじわら の ありとし、生没年不詳)は、平安時代前期の貴族。藤原南家乙麻呂流、右衛門権佐・藤原高扶の子。官位は正五位下・陸奥守。 == 経歴 == 斉衡3年(856年)備後守、天安2年(858年)近江介、貞観5年(863年)大宰少弐、貞観6年(864年)讃岐介、貞観11年(869年)播磨守と、文徳朝から清和朝にかけて地方官を歴任。この間、貞観11年(869年)に従五位上に叙せられている。また、讃岐介在任中の貞観8年(866年)には殺人事件に対する判決の誤りについて責任を問われて、笞刑50・贖銅5斤を科せられた〔『日本三代実録』貞観8年10月25日条〕。 のち、検非違使佐・陸奥守に任ぜられている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「藤原有年」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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