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藤原松三郎 : ウィキペディア日本語版
藤原松三郎[ふじわら まつさぶろう]

藤原 松三郎(ふじわら まつさぶろう、1881年2月14日 - 1946年10月12日)は、日本数学者・数学史家。第二次世界大戦前において、90編の欧文論文を著し、世界数学者会議で2度の学術講演を行うなど、当時の日本の数学界を代表する数学者であり、また日本数学史、中国数学史、朝鮮数学史をカバーする和漢数学史家としても大きな業績を残した。特に8000枚という膨大な遺稿「日本数学史」は『明治前日本数学史』全5巻(岩波書店、1955-1960)としてまとめられ、現在においても和算史を研究する上で最も重要かつ基本的な文献となっている。
== 生涯 ==
1911年(明治44年)、東北帝国大学に数学科が設置されると、30歳で教授に就任。この時、主任教授に林鶴一、助手にはのちに数学史家となる小倉金之助がいた。
藤原には、解析学を中心に多くの論文があるが、日本語の著作として『代数学 : 第 1,2 巻』(内田老鶴圃,1928-1929 初版), 『微分積分学 : 第 1,2 巻』 (内田老鶴圃,1929-1930 初版)は、長く各大学で教科書・参考書として使われた。また『常微分方程式論』 (岩波書店,1930)は、日本で最初の常微分方程式の著作である。
東北大学で藤原の教えを受けた者には、経済学やゲーム理論において頻繁に使われる〈角谷の不動点定理〉で有名な角谷静夫、数学教育で著名な遠山啓がいる。また東北大学は戦前期に女子学生、外国人学生の入学を許可した稀有の大学であり、『ある女性数学者の回想』の著者である森本治枝、中国の西洋数学研究の礎を築いた陳建功らも、藤原の薫陶を受けた数学者である。
純粋数学の研究者であった藤原が、数学史の研究を始めたのは、同僚である林鶴一が急逝による。林鶴一は、日本初の国際数学雑誌である『東北数学雑誌』を私費で創刊した純粋数学の研究者であったが、晩年には和算史の研究に力を注ぎ、2000ページを超える『和算研究集録 上下巻』を上梓していた。林が残した研究と彼が集めた膨大な和算書資料を前に、藤原は以後、和漢数学史研究に没頭することを決意する。この経緯については藤原による「林鶴一君を憶ふ」「林鶴一君の業績」「林鶴一博士小伝」「余の和算史研究」などに詳しい。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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