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藤原為業 : ウィキペディア日本語版
寂念[じゃくねん]
寂念(じゃくねん、生没年不詳)は、平安時代末期の官人歌人。俗名は藤原 為業(ふじわら の ためなり)。藤原北家長良流丹後藤原為忠の次男。官位従五位上皇后宮大進。通称は伊賀入道
== 経歴 ==
永久元年(1113年)頃の生まれとされる。六位蔵人伊豆伊賀守を歴任後、仁平元年(1141年)には近衛天皇の中宮(後に皇后)藤原呈子に仕えて中宮権大進・皇后宮大進に至った。
保元3年(1158年)頃に出家し大原に隠棲する。法名を寂念と称し、同じく出家した兄弟の寂超寂然とともに大原三寂常盤三寂と呼ばれた。
若い頃より父が主催する歌合に度々参加し、九条兼実藤原重家源俊恵源頼政平忠度などとも親交が厚く、各地の歌合にも招かれている。寿永元年(1182年)に作られた『一品経和歌懐紙』の作者とされ、死去したのはそれ以後とされている。なお、息子である範玄が季御読経を重喪を理由に辞退したとする記事が『玉葉』文治3年3月22日条にあり、これを範玄の親すなわち寂念の死による喪とする説もある〔中村文『後白河院時代歌人伝の研究』笠間書院、2005年 ISBN 4-305-70296-7 314頁〕。
弟2人よりも後世の評価は低いとされるものの、当時を代表する歌人として知られ、『千載和歌集』以下の勅撰和歌集に6首が入集。落ち着きのある歌風で知られた。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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