翻訳と辞書
Words near each other
・ 藤原為房
・ 藤原為房卿記
・ 藤原為教
・ 藤原為時
・ 藤原為業
・ 藤原為氏
・ 藤原為盛
・ 藤原為相
・ 藤原為経
・ 藤原為親
藤原為輔
・ 藤原為通
・ 藤原為隆
・ 藤原為雅
・ 藤原為頼
・ 藤原玄上
・ 藤原玄明
・ 藤原玄茂
・ 藤原理忠
・ 藤原理恵


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

藤原為輔 : ウィキペディア日本語版
藤原為輔[ふじわら の ためすけ]

藤原 為輔(ふじわら の ためすけ)は平安時代中期の公卿右大臣藤原定方の孫で、左兵衛督藤原朝頼の長男。甘露寺中納言〔『公卿補任』〕または松崎帥〔と号す。
== 経歴 ==
天慶8年(945年蔵人雑色、蔵人として朱雀天皇に仕える。天慶9年(946年譲位後も院判官代として引き続き仕えながら、木工権助式部少丞を歴任。天暦2年(948年従五位下豊前権守に叙任された。
天暦4年(950年因幡守、天暦9年(955年)には尾張守と地方官を務め、従五位上に昇進。引き続き丹波守山城守大和権守と務め上げ、その功で従四位下まで昇る。康保4年(967年左京大夫を兼任し、安和2年(969年右中弁に任ぜられた後、左中弁右大弁と弁官を務めた。
天延3年11月(976年1月)参議に任ぜられて公卿に列す。貞元2年(977年正四位下に昇叙され、翌年には左大弁に進む。天元2年(979年紀伊権守勘解由長官、天元3年(980年美濃権守を歴任。天元4年(981年治部卿に遷り、永観2年(984年正三位に叙されている。永観3年(985年)には播磨権守に任ぜられた。
寛和2年(986年権中納言大宰権帥に任ぜられるが、同年8月26日に薨去した。享年67。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「藤原為輔」の詳細全文を読む



スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.