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藤原為隆 : ウィキペディア日本語版
藤原為隆[ふじわら の ためたか]

藤原 為隆(ふじわら の ためたか)は平安時代末期の公卿参議藤原為房の長男。日記『永昌記』を記した。
== 経歴 ==
応徳3年(1086年白河天皇六位蔵人となる。応徳4年(1087年従五位下越前権守に叙任され、寛治2年(1088年甲斐守に任ぜられる。
寛治6年(1092年)従五位上に昇り、中宮権大進木工頭右少弁、中宮大進、権右中弁を歴任。天仁2年(1109年従四位下・右中弁に叙任され、備中介を兼任。
天永3年12月(1113年1月)、南方より俄かに炎が高く上がった。火勢が強く、大納言藤原実季の後家の宅に加えて為隆の邸宅も焼亡した〔『中右記天永3年12月14日条〕。天永4年(1113年)従四位上ついで正四位下に進み、左中弁、遠江守を務める。
保安3年(1122年蔵人頭に補任され、同年中に参議、右大弁に昇り公卿に列す。保安4年(1123年勘解由長官となり、讃岐権守を兼ねる。同年、左大弁に進む。天治2年(1125年周防権守
大治3年(1128年従三位に昇るが、大治5年(1130年)9月、数日病に悩まされていた為隆はこれを治癒しようと万方を尽くしたが癒えることなく、官職を辞職。翌朝出家。同日申刻急薨。臨終は『安住正念』と評された〔『後拾遺往生伝』〕。享年61。子孫は吉田家など。
後拾遺往生伝』によれば毎回朝議にあったとされる。さらに、資性倜儻(才気があり優れている)、才器軼人(才器で優れている)、職事三代、可謂独歩(職事三代独歩と謂うべし)と評されている。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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