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藤原真[ふじわら まこと]
藤原 真(ふじわら まこと、1945年5月15日 - )は、兵庫県出身の元プロ野球選手。ポジションは投手。
== 来歴・人物 == 兵庫県立西脇高等学校時代は三塁手。慶應義塾大学へ進学し投手へ転向。東京六大学リーグではエースとして1967年春季リーグの優勝に貢献、ベストナインに選出される。同年の全日本大学野球選手権大会では、決勝で中大の宮本幸信投手と投げ合うが、1-3で惜敗し準優勝にとどまる。リーグ通算成績は64試合登板し22勝19敗、防御率1.91、222奪三振。大学同期に宇賀山徹一塁手(日本鋼管)らがいた。なお法大の田淵幸一は藤原と相性が良く、当時のリーグ本塁打記録22本のうち、最多の5本を彼から打っている。 1967年に南海ホークスにドラフト1位で指名されたが拒否し、全鐘紡に入社。1968年の産業別対抗野球で優勝、最優秀選手に選ばれる。チームメートに水谷宏投手、高橋二三男外野手、倍賞明一塁手らがいた。同年にサンケイアトムズからドラフト1位指名を受け入団。 1969年4月12日、開幕の読売ジャイアンツ戦で6回、1点ビハインドの場面で河村保彦のリリーフに立ち、味方打線が逆転したため、最後まで投げきった藤原がルーキーながら勝利投手となった。スライダーやカーブ、シュート、シンカーと多彩な変化球を持ち、4月は無傷の3勝を挙げたが、徐々に打たれ始め、結局9勝(8敗)で終わった。翌年からは怪我に泣いて1勝、2勝に終わり、1971年オフに田中調とのトレードで東映フライヤーズに移籍した。 新天地ではいきなり開幕投手(開幕試合が雨で中止になったため繰上げではあったが)を務めたがこの年も7勝(13敗)に終わり、以後は目立った活躍もなく1976年限り引退した。引退後は、岳父の創業した株式会社ヤシロに入り、副社長をつとめる。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「藤原真」の詳細全文を読む
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