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仲石伴[なか の いわとも] 仲 石伴(なか の いわとも、生年不詳 - 天平宝字8年9月18日(764年10月21日)は、奈良時代の皇族・貴族。当初は石津王を名乗り、のち臣籍降下して藤原朝臣次いで仲真人となった。官位は従四位下・左勇士率。 == 経歴 == 当初石津王を名乗る。天平勝宝元年(749年)無位から従五位下に直叙され、天平勝宝5年(753年)紀伊守に任ぜられる。天平勝宝9年(757年)大納言・藤原仲麻呂の養子となり、藤原朝臣姓を与えられ臣籍降下する。のち仲真人姓に改姓する。 天平宝字3年(759年)一挙に4階昇進し、藤原仲麻呂の実子である真先・訓儒麻呂と同時に従四位下に叙せられる。藤原仲麻呂政権下で河内守や右虎賁衛督・左勇士率と武官を歴任する。 なお、この間の天平宝字5年(761年)に第14次遣唐使の遣唐大使に任ぜられている。しかし、天平宝字6年(762年)安芸国から難波江口(淀川河口)に到着した遣唐使船が破損したため、遣唐使の規模を縮小せざるを得なくなり、石伴に替わって遣唐判官・中臣鷹主が遣唐大使となっている〔『続日本紀』天平宝字6年4月17日条〕。 天平宝字8年(764年)に発生した藤原仲麻呂の乱では藤原仲麻呂と行動を共にし、近江国で敗死した〔『続日本紀』天平宝字8年9月29日条〕。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「仲石伴」の詳細全文を読む
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