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藤原経季[ふじわらけいき]
藤原 経季(ふじわら の つねすえ)は平安時代中期から後期にかけての公卿。権中納言・藤原経通の次男。 == 経歴 == 万寿4年(1027年)従五位下・美作権守に叙任。長元2年(1029年)右兵衛佐次いで左近衛少将に任ぜられ、長元3年(1030年)従五位上・伊予介となる。 長元4年(1031年)五位蔵人に補任される。長元6年(1033年)正五位下、長元8年(1035年)従四位下に叙せられ、長元9年(1036年)播磨権介を兼ねる。長暦2年(1038年)従四位上に昇叙。長久2年(1041年)にはさらに正四位下に進み、周防権守・近江権介を兼任。長久3年(1042年)左近衛権中将に任ぜられ、寛徳2年(1045年)蔵人頭に補任された。翌寛徳3年(1046年)修理権大夫を務める。 永承2年(1047年)参議に任ぜられて公卿に列す。同年従三位に昇叙。その後、永承3年(1048年)美作権守、天喜元年(1053年)備中権守・備前権守、天喜6年(1058年)再び備中権守、康平6年(1063年)備後権守と地方官を兼帯し、康平3年(1060年)には右兵衛督と武官も兼ねた。康平5年(1062年)正三位に叙せられ、治暦3年(1067年)左兵衛督に転ずると、治暦4年(1068年)権中納言に任ぜられた。治暦5年(1069年)従二位、延久3年(1071年)には正二位に至った。 承保3年(1076年)治部卿を兼ねる。承暦4年(1080年)には中納言に転じるが、永保2年(1082年)に辞職、出家した。応徳3年(1086年)8月、77歳で薨去。藤原資房から散々に批判されるなど政治的能力に乏しく、権中納言任官も年労であった。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「藤原経季」の詳細全文を読む
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