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藤原 経通(ふじわら の つねみち、天元5年(982年) - 永承6年1月18日(1051年3月3日)または8月16日(9月23日)〔『尊卑分脈』〕)は、平安時代の公卿。藤原懐平の長男。土御門帥と号す。 == 経歴 == 永祚2年(990年)従五位下に叙爵。近江権介、左中弁、蔵人頭などを歴任し、寛仁3年(1019年)参議に任じられ公卿に列す。長元10年(1037年)禎子内親王中宮冊立の際には宣命使を務めている。 治部卿等を経て、正二位権中納言 、右兵衛督を兼ねた。寛徳3年(1046年)に大宰権帥に任じられた後、永承6年(1051年)薨去。享年70。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「藤原経通」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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