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藤原綏子 : ウィキペディア日本語版
藤原綏子[ふじわら の すいし やすこ]
藤原 綏子(ふじわら の すいし・やすこ、天延2年(974年) - 寛弘元年2月7日1004年2月29日))は平安時代中期、三条天皇皇太子時代の妃。公式の身分は正二位尚侍摂政太政大臣藤原兼家の三女で、母は「対の御方」とよばれて兼家に寵愛された従三位藤原国章の娘。
== 生涯 ==
永延元年(987年)9月、14歳で尚侍となり麗景殿を局とし、永祚元年(989年)12月9日、16歳で2歳年下の甥(異母姉超子の子)・東宮居貞親王(のちの三条天皇)に参入した〔『一代要記』〕(東宮元服の夜に添臥として参上したともいわれる〔『栄花物語』〕〔『大鏡』〕)。容貌が美しく、素直な気質で、最初は東宮に寵愛された〔が、ふとしたきっかけで寵愛を失い〔『大鏡』によれば、夏の日、東宮は綏子に「私を愛するならば、私が良いというまで持っていなさい」と言って、氷を手に持たせたのを、綏子は従順に手が紫色に変わるまで持っていたので、却って興ざめした東宮の心証を悪くしたという。〕、土御門西洞院の里第に籠もるようになった。ついには村上天皇の皇孫で好色の名高い弾正大弼・源頼定と密通事件を起こすまでになり、疑わしく思った東宮は綏子の異母兄道長に実検を命じた。道長は綏子のもとに参上するや、いきなり彼女の着ていた衣を荒っぽく開いて乳房を捻り、母乳が迸ったのを確認して帰参し、東宮に密通懐妊の事実を啓上した。東宮は頼定を憎らしく思う上で、「道長もそこまでしなくてもよかったのに」と、異母兄の去った後で大層泣いたという綏子の心中を思いやって少し不憫にも思ったという。一件は長徳年間(995年999年)の出来事であるらしく、綏子と頼定の間に生まれた男の子は後に僧都となった頼賢であるといわれている〔『平安時代史事典』〕。
長保元年(999年)正月、正二位に叙された〔。寛弘元年(1004年)2月3日に重篤に陥り、意識不明となったまま7日夜剃髪、31歳で薨去した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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