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藤原豊嗣 : ウィキペディア日本語版
藤原豊継[ふじわら の とよつぐ]
藤原 豊継(ふじわら の とよつぐ、生没年不詳)は、平安時代初期の貴族。名は豊嗣とも記される。藤原京家神祇伯藤原大継の子。官位従五位下豊前守
== 経歴 ==
天長2年(825年従五位下叙爵
仁明朝に入り、承和3年(836年天皇の守護と遣唐使の帰国祈願を目的として、下総国香取郡伊波比主命ら四柱の大神に位記を奉っている(この時の官職中務少輔)〔『続日本後紀』承和3年5月9日条〕。
承和5年(838年左少弁、承和8年(841年)従五位上に叙任され、のち右中弁に昇進する。右中弁の官職にあった承和12年(845年)に他の4人の弁官とともに、法隆寺僧侶善愷による同寺の壇越であった少納言登美直名告訴の審理を行い、直名に遠流判決を下す。しかし、翌承和13年(846年)になって、審理に参加しなかった右少弁・伴善男がこの訴訟事件に関連して5人の弁官が私曲を行ったとして弾劾を行う。結局、弾劾は認められ、豊継は他の弁官とともに解官の上、贖銅10斤を課された(善愷訴訟事件)〔『続日本後紀』承和13年11月14日条〕。さらに、承和14年(847年)には位記を破棄され、翌嘉祥元年(848年)になって一階下の従五位下に再叙されている。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「藤原豊継」の詳細全文を読む



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