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藤原資経 : ウィキペディア日本語版
吉田資経[よしだしけい]

吉田 資経(よしだ すけつね)は平安時代末期から鎌倉時代前期にかけての公卿参議吉田定経の長男。『平家物語』の作者にも擬せられている。
== 経歴 ==
文治4年(1188年従五位下叙爵。文治6年(1190年信濃守に任ぜられ、少年受領となる。建久4年(1193年三河守に遷り、建久6年(1195年)従五位上に昇叙。正治元年(1199年)父の出家により祖父・経房の養子となって家督を継いだ。
建仁3年(1203年正五位下に叙せられ、建永元年(1206年中宮権大進に任ぜられる。承元3年(1209年)には左衛門権佐を務め、建暦2年(1213年防鴨川使となる。建保2年12月(1215年1月)五位蔵人に補任され、建保6年(1218年右少弁に任ぜられることで、三事兼帯を果たした。同年春宮大進を兼任。
建保7年(1219年従四位下権右中弁に叙任。まもなく左中弁に転じた。承久3年(1221年)従四位上蔵人頭に叙任され、皇后宮亮を兼ねた。
承久4年(1222年正四位下右大弁に叙任される。同年参議に任ぜられて公卿に列し、貞応2年(1223年)には近江権守造東大寺長官を兼帯する。貞応3年(1224年従三位に叙せられるが、弁官と造東大寺長官を辞任して大宰大弐に任ぜられた。翌年には参議を辞退し、安貞2年(1228年)に正三位に叙せられた。天福2年(1234年出家して法名を乗願とした。
仁治元年(1240年)閏10月、父の遺領を異母弟・経賢と争っている(『平戸記』)。建長2年(1250年)に所領や家に伝わる記録などを子息に配分して、翌建長3年(1251年)7月15日に71歳で薨去した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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