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藤原 資頼(ふじわら の すけより、久安4年(1148年) - 没年不詳)は、平安時代から鎌倉時代の公卿。藤原北家大炊御門流、参議・藤原頼定の子。官位は従三位・皇太后宮権大夫。 == 経歴 == 長寛元年(1163年)従五位下に叙爵し、丹波守に任ぜられる。後白河院の院司を務める一方、受領として備中守・土佐守などの地方官を歴任した。 元久元年(1204年)皇太后宮権大夫に任ぜられ、承元4年(1211年)従三位に叙せられ公卿に列す。建保元年(1213年)出家。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「藤原資頼」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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