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藤原 通(ふじわら とおる、1979年6月18日 - )は、兵庫県高砂市出身の元プロ野球選手。現役時代は阪神タイガースに所属していた。内野手登録だったが、外野手としての出場もあった。 == 経歴 == 神港学園神港高等学校では一塁手として、2年生の夏の甲子園に出場。立命館大学に進学後は3年生から4番に座り、通算8本塁打を記録した。 期待の長距離砲としてのドラフト6巡目で阪神に指名され入団。入団後、大学時代まで守った一塁手以外に、三塁手や外野手にも挑戦、内野・外野どこでも守れるユーティリティプレーヤーに成長した。 二軍では早くから力を発揮し、プロ1年目となるのファーム日本選手権では3安打4打点の活躍で最優秀選手に選ばれた。しかし、一軍では戦力が充実していたために、なかなか出場の機会に恵まれなかった。 7月21日、ウエスタン・リーグの対大阪近鉄バファローズ戦(藤井寺球場)において、満塁の場面で打席に立ち、バックスクリーンを直撃する打球を放った。ところが二塁塁審のいなかった試合でありながら、残りの審判(主審と一・三塁の塁審の3人)が通常の4人制ジャッジに則した動きをしていたために、どの審判も直撃を確認していなかった。結局、木戸克彦二軍監督の抗議も覆らずに二塁打と判定され、幻の満塁本塁打になってしまった。 のファーム日本選手権では、千葉ロッテマリーンズの成瀬善久から、喜田剛・桜井広大とともに3者連続本塁打を放っている。この年オフ、結婚を発表。 シーズンはオープン戦でアピールし、開幕一軍候補に挙げられた。結局は二軍スタートとなるが、ファームで4割超の打率を残し一軍昇格。5月に一軍で実に5年ぶりとなる安打を打った。代打や代走要員、さらには外野手や一塁手の守備固めもこなして一軍に定着した。外野手21試合、一塁手4試合、二塁手1試合、三塁手2試合とさまざまな守備位置で貢献し、ユーティリティーぶりを発揮した。スタメンにも中堅手4試合、一塁手1試合で起用された。 しかしは一軍出場がなく、またには右腕の故障にも悩まされるようになった〔前田「戦力外」現役続行は半々…藤原は引退発表 スポーツニッポン、2009年10月3日。〕。「プロ選手として満足のいくプレーができない」と自ら判断し〔藤原 通選手 現役引退について 阪神タイガース公式サイト、2009年10月2日。〕、2009年10月2日に現役引退を発表した。 引退後は阪神の球団職員となり、二軍の用具担当兼サブマネジャーを経て一軍のサブマネジャーに就任している〔猛虎人国記(37)〜兵庫県(中)憧れから「逆指名」した「紳士」 別当薫 スポーツニッポン、2012年3月27日。〕。 からは一軍マネージャーに昇格する〔球団仕事納め&小虎日記の転居先(12月28日) Sponichi Annex 野球 2013年12月28日〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「藤原通」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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