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藤原道頼 : ウィキペディア日本語版
藤原道頼[ふじわら の みちより]

藤原 道頼(ふじわら の みちより)は、平安時代中期の公卿関白藤原道隆の庶長子。祖父・兼家の養子となった。舅の藤原永頼の屋敷であった山井殿を継承したことから「山井大納言(やまのいのだいなごん)」と号した。
== 生涯 ==
藤原道隆の長男として山城藤原守仁の娘を母に生まれたが、道隆は高階貴子高階氏を重んじた為に異母弟の伊周よりも低く置かれていた。(これは貴子が定子を筆頭とする四人の后がねとなる娘達を産んでいた事、貴子の父の高階成忠が公卿となった事も大きい)。道隆の父・兼家は道頼を可愛がり、道隆に乞うて自分の養子に迎えてその六男とした。
寛和元年(985年)に叙爵従五位下)を受けて侍従近衛中将などを歴任後、永延3年(989年)に蔵人頭に任じられた。正暦元年(990年5月13日参議に昇進する。
翌年9月7日に伊周と共に権中納言に任じられるが、その翌年には舅の源重光から譲られて権大納言に昇進した伊周に官位を抜かれ、正暦4年(993年8月28日内大臣に昇った伊周の後任の権大納言に任じられた。
長徳元年(995年)に25歳の若さで薨去している。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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