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藤原長家 : ウィキペディア日本語版
藤原長家[ふじわら の ながいえ]
藤原 長家(ふじわら の ながいえ、寛弘2年8月20日1005年9月26日) - 康平7年11月9日1064年12月19日))は、平安時代中期の公卿歌人藤原北家摂政太政大臣藤原道長の六男。母は源明子であるが、後に道長の嫡妻源倫子の養子となった。官位正二位権大納言。大宮または三条を号す。御子左家の祖。
== 経歴 ==
幼名は小若。寛仁元年(1017年)に元服し、従五位上に叙せられて、昇殿を許される。同年侍従次いで右近衛少将に任ぜられる。寛仁2年(1018年従四位上・右近衛中将、寛仁3年(1019年正四位下と順調に昇進し、治安2年(1022年従三位に叙せられ公卿に列す。
治安3年(1023年参議を経ることなく正三位権中納言治安4年(1024年正二位万寿5年(1028年)に権大納言に至る。その後は兄の頼通教通頼宗能信が長く健在だったこともあり、権大納言を極官として、康平7年(1064年)10月に病の為出家し、同年11月9日兄達に先んじて薨去享年60。
千載和歌集』の編者として知られる藤原俊成の曽祖父に当たり、長家自身も『後拾遺和歌集』(4首)以下の勅撰和歌集に44首の作品が入首するなど〔『勅撰作者部類』〕、歌壇の中心的人物の一人であった。家集があったと言われるが、現存しない。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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