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藤原 陳政(ふじわら の のぶまさ、生没年不詳)は平安時代中期の貴族。藤原北家山蔭流、参議・藤原安親の子。官位は正四位下・内蔵頭〔『尊卑分脈』魚名公流。〕。 『小右記』によると、永延2年(988年)3月当時、五位・伊賀守であった。春宮亮を経て、正暦3年(992年)正月に備中守に任ぜられる〔『小右記』正暦3年正月30日条。〕。この後、内蔵頭となり、播磨守を務めた。長保6年(1004年)正月の叙位において、陳政は内裏造宮の功によって叙位を受けることになっていたが、弟の季随にこれを譲っている〔『権記』長保6年正月5日条。〕。寛弘4年(1007年)が記録上最後となり、これ以後の消息は不明。冷泉院判代官も務めた。 == 系譜 == *父:藤原安親 *母:不詳 *妻:不詳 *男子:藤原親業(?-?) *男子:藤原惟佐 *女子:藤原実成室 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「藤原陳政」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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