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藤原隆信派(ふじわらのたかのぶは)は、藤原隆信(1142年-1205年)(正四位下)から始まり豪信(14世紀活躍)までの大和絵似絵を得意とした家系の画系。 主な画人に藤原信実、藤原為継、信海、藤原為信、豪信がいる。 == 概要 == *藤原隆信は1173年完成の最勝光院御堂障子絵に肖像画の名手として担当した(『玉葉』第一(近代デジタルライブラリー所収コマ171)〔コマ171〕。 *長男信実は国宝《後鳥羽上皇像》(水無瀬神宮蔵 )や《柿本人麿像》(京都国立博物館蔵)で知られる似絵の名手であり、『古今著聞集』巻第十一:書画に「似絵」用語も登場し(〔コマ187〕)この分野が確立した。以降、代々似絵を得意とした。 *信実の四男信海は醍醐寺法印となり、重要文化財《紙本墨画不動明王像》(醍醐寺蔵:画像)で知られる。 *豪信は延元3年(1338年)の国宝《花園天皇像》(京都長福寺蔵:文化遺産データベースで検索)で知られる。 詳細は系図から個々の画人を参照されたい。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「藤原隆信派」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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