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藤原 雅材(ふじわら の まさき、生没年不詳)は、平安時代中期の貴族。藤原北家魚名流、越前守・藤原高房の玄孫。肥前守・藤原経臣の子。官位は従五位下・右少弁。 == 経歴 == 天暦9年(955年)文章生試宣旨を受け、天徳元年(957年)2月に藤原実頼が『世説』を講ぜさせた際には文章生として尚復を務める。同年文章得業生となり、天徳3年(959年)8月の清涼殿詩合では右方の行事を務めた。天徳4年(960年)2月の釈奠に際して作成した詩序が評価されて〔『江談抄』第六長句〕六位蔵人に任ぜられる。 のち、天禄元年(970年)に従五位下・右少弁に至る。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「藤原雅材」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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