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藤原顕信[ふじわらの あきのぶ]
藤原 顕信(ふじわらの あきのぶ)は、平安時代中期の貴族。摂政太政大臣・藤原道長の三男。 == 生涯 == 寛弘8年(1011年)10月に右馬頭に任官〔『権記』寛弘8年10月条〕。翌寛弘9年正月19日(1012年2月19日)、世を儚み行願寺(革堂)の行円の許を訪ねる。その教えに感銘を受けてそのまま剃髪し、比叡山無動寺に出家した。その将来に期待していた両親は、大いに嘆き悲しんだと言われる〔『大鏡』第五巻,太政大臣道長、『栄花物語』巻第十,ひかげのかづら〕。 その後、無動寺から大原に移って仏道修行に励んでいた〔『御堂関白記』長和3年8月9日条〕が、余命短い事を悟って延暦寺の根本本堂に2週間籠った後に無動寺にて病死したという〔『栄花物語』巻第二十九,たまのかざり〕。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「藤原顕信」の詳細全文を読む
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