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藤原顕忠[ふじわら の あきただ]
藤原 顕忠(ふじわら の あきただ、 昌泰元年(898年) - 康保2年4月24日(965年6月1日))は平安時代の公卿。左大臣・藤原時平の次男。官位は従二位・右大臣。贈正二位。富小路右大臣と号す。 == 経歴 == 醍醐朝の執政者時平の次男であったが、父の早逝によって朝廷の実権が叔父の忠平に移ったこともあり、若年時は官途に恵まれなかった。承平7年(937年)に参議に任官した時には既に40歳と、他の兄弟と比べても公卿への昇進は遅かった(兄保忠は23歳、弟敦忠は34歳)。しかしながら、兄弟の中で唯一長命を保ち、右大臣にまで至った。 謙虚で控え目な人柄であったといい、饗応に使う家の広さ、外出時における先払いの下人の数、また使用する食器の質など、万事において大臣としては異例なほど質素に振る舞った。顕忠が時平の一族の中で唯一人、菅原道真の祟りを受けることもなく長命し得たのは、こうした慎ましさのたまものであると噂されたという。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「藤原顕忠」の詳細全文を読む
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