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藤原 鷹養(ふじわら の たかかい、生年不詳 - 弘仁6年(815年)?)は、平安時代初期の貴族。藤原南家、右大臣・藤原豊成の曾孫。右衛門権佐・藤原長道の子。官位は従五位上・越中守。 == 経歴 == 紀伊守在任中の延暦23年(804年)に桓武天皇の紀伊国行幸があり、従五位上に昇叙された。大同3年(808年)造西寺長官。 弘仁元年(810年)薬子の変終結後に民部大輔に任ぜられる。弘仁3年(812年)越中守に任ぜられ地方官に転じる。弘仁6年(815年)に官物横領を理由に、越中介・大伴黒成ら越中国の国司が官職を解かれたが、鷹養は既に没していたことを理由に免罪とされている〔『日本後紀』弘仁6年2月9日条〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「藤原鷹養」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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