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藤原黒麻呂 : ウィキペディア日本語版
藤原黒麻呂[ふじわら の くろまろ]

藤原 黒麻呂(ふじわら の くろまろ、生年不詳 - 大同5年6月10日810年7月14日))は、奈良時代末期から平安時代初期の貴族藤原南家参議藤原巨勢麻呂の次男。官位従四位下因幡守
== 経歴 ==
近江国に生まれる。宝亀5年(774年)正月に正六位下から三階昇叙され従五位下に叙爵し、上総介に任ぜられ現地に赴任。近辺の原野を開墾して牧野とし藻原荘として成立させた〔『朝野群載』〕。この藻原荘が現在の千葉県茂原市の起源とされる。宝亀8年(777年上総守に昇進する。宝亀9年(778年従五位上に叙せられると、宝亀11年(780年治部大輔に任ぜられる。
桓武朝に入ると、延暦元年(782年右中弁に任ぜられるが、延暦3年(784年)には遠江守として地方官に転ずる。延暦8年(789年刑部大輔次いで治部大輔と再び京官に復すが、翌延暦9年(790年駿河守に転じた。またこの頃、皇太后高野新笠および皇后藤原乙牟漏崩御した際に御葬司を務めている。
のち、桓武朝末に正五位下平城朝末には従四位下にまで昇進するとともに、周防守因幡守と地方官を歴任している。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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