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藤口 透吾(ふじぐち とうご、1909年10月28日 - 1970年12月20日)は、日本の小説家である〔''藤口透吾''、国立情報学研究所、2012年11月1日閲覧。〕〔''藤口透吾''、人物レファレンス事典、日外アソシエーツ、2012年11月1日閲覧。〕〔''藤口透吉''、芥川賞のすべて、2012年11月1日閲覧。〕。本名の藤口 藤吉(ふじぐち とうきち)、および筆名の藤口 透吉(ふじぐち とうきち)名でも著作を発表している〔〔〔。 == 人物・来歴 == 1909年(明治42年)10月28日、福岡県福岡市大工町(現在の同県同市中央区天神)に生まれる〔〔。1933年(昭和8年)、旧制・福岡市立第一専修学校を卒業、翌1934年(昭和9年)7月、東京府(現在の東京都)へ移転、1935年(昭和10年)4月には東京府職員として社会課に勤務する〔〔。 1936年(昭和11年)、日満交通新聞社に入社する〔〔。国立国会図書館蔵書によれば、同年5月に発行された『日本少年』第31巻第5号に『珍らしい國、奇妙な國』が「藤口透吉」名義で掲載されており、同蔵書ではもっとも古い発表作品である〔日本少年 31(5) 、国立国会図書館、2012年11月1日閲覧。〕〔''藤口, 透吾, 1909-1970''、国立国会図書館、2012年11月1日閲覧。〕。 1937年(昭和12年)、河野シオリと結婚する〔。 1939年(昭和14年)下半期の第10回芥川龍之介賞において、予選候補に『秋情』『老骨の座』、候補には『老骨の座』が残った〔。1940年(昭和15年)上半期の第11回芥川龍之介賞では予選候補に『骨肉慚愧』が、1941年(昭和16年)下半期の第14回芥川龍之介賞では『駅逓物語』が参考候補に挙げられたが、ついに同賞を受賞することはなかった〔。いずれも「藤口透吉」名義である〔。 第二次世界大戦後の1946年(昭和21年)、勤労者生活協同組合連合会に勤めるが、1950年(昭和25年)には退職して、専業作家となる〔〔。 1958年(昭和33年)6月29日に日活が製作・配給して公開された、鈴木清順監督の『踏みはずした春』(主演左幸子・小林旭)は、藤口が書いた『BBSの女』を原作に映画化したものであった〔踏みはずした春 、日本映画データベース、2012年11月1日閲覧。〕。 1970年(昭和45年)12月20日、福岡県筑紫郡春日町(現在の同県春日市)の末弟宅で心臓性喘息のため死去した〔〔。満61歳没。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「藤口透吾」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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