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藤堂明保 : ウィキペディア日本語版
藤堂明保[とうどう あきやす]

藤堂 明保(とうどう あきやす、1915年9月20日 - 1985年2月26日)は、日本の中国語学者、中国文学者。

==来歴==
三重県伊賀市(旧上野市)生まれ。藤堂氏津藩伊賀上野城代の家系。父の赴任により大連で育つ。1938年東京帝国大学支那哲学科卒業後、外務省研修員として北京へ留学。そのまま応召し、1941年現地で除隊、さらに通訳として軍務に従事する。敗戦を南京で迎え、その翌日には軍命でハノイへ飛び、1947年中国経由で復員。第一高等学校教授を経て、1950年東京大学文学部専任講師、1954年同助教授、1963年同教授。東大紛争全共闘支持を表明し、1970年、強行排除に抗議して辞職、その直後から11PMに出演して「女へんの漢字」を解説したり、1971年からはNHKテレビ中国語講座講師を担当するなど、マスコミでも活躍した。1972年より早稲田大学政治経済学部客員教授1976年から日中学院長。
専門は音韻学で、1962年「上古漢語の単語家族の研究」で東京大学から文学博士号を授与される。漢字の意味(語源)の遡及において、字形の異同から共通する意義素を抽出しようとする伝統的な文字学の手法ではなく、字音の異同を重視し、字形が異なっていても字音が同じであれば何らかの意義の共通性があると考える「単語家族説」を提唱した。1970年に刊行された白川静の『漢字』を全否定し、白川の反論を受けている。日本の漢字改革についても発言したが、「単語家族説」の発想に基づいて、発音と意味の一部を同じくする漢字を統合することにより、字数を削減できると主張した。また、独自の観点に基づく『学研漢和大字典』を編纂し、漢文学の知識をよりわかりやすい形で提供する新しい漢和字典の嚆矢となった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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