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藤堂虎高[とうどう とらたか]
藤堂 虎高(とうどう とらたか)は、戦国時代から安土桃山時代の武将。近江犬上郡藤堂村の土豪。子に藤堂高虎など。愛智氏を称したこともある。 == 生涯 == 永正13年(1516年)、近江鯰江城主・三井乗綱の次男として生まれた。藤原姓三井氏にあたり、江戸時代の豪商・三井家や江戸時代の大名家・藤原姓毛利氏(鯰江氏)らも近縁とされる。 若くして近江を離れて甲斐の武田氏に仕え、才を寵愛されて主君の武田信虎より「虎」の偏諱を授かるほどになったが、故あって武田家を離れた(巷説では若い他国者の出世に対する同僚の嫉妬とされる)。 近江に帰国後、藤堂忠高の婿養子となる。 婿養子先の藤堂家は在地の有力土豪といえども、虎高の代には犬上郡数村を支配する程度に没落していた。はじめ京極氏、後に浅井氏に仕えた。長男・高則は早くに戦死したが、次男の高虎が出世していく過程で、自然とその家中に編入された。家督を高虎に譲った後、故郷の白雲山を偲んで白雲斎と号した。 慶長4年(1599年)、高虎の領地である伊予宇和島城で死去した。享年84。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「藤堂虎高」の詳細全文を読む
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