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藤堂高潔 : ウィキペディア日本語版
藤堂高潔[とうどう たかきよ]

藤堂 高潔(とうどう たかきよ)は、伊勢津藩の第12代(最後)の藩主。藤堂家宗家12代。正室は蜂須賀斉昌養女で蜂須賀昭順の娘・量子
== 生涯 ==
天保8年(1837年9月20日に生まれる。1863年、父に代わって上京して孝明天皇に拝謁し、御所の警備を努めた。元治元年(1864年)、左近衛権少将となる。明治元年(1868年)10月、版籍奉還後の藩政改革を主導し、明治天皇伊勢神宮参拝においても守備などで尽力した。明治3年(1870年)10月、藩士を解散したことで監物騒動が発生する。
明治4年(1871年)6月28日、病を理由に父が隠退したため、その跡を継いで藩知事となる。しかし同年7月の廃藩置県で免官となった。明治22年(1889年)11月18日、父に先立って53歳で死去した。
賢明温厚で書画の才にも優れていたと言われている。絵は、渡辺崋山に師事し、花卉図を得意としたという。またの腕前も免許皆伝の腕前で、自邸や実弟、黒田長知の赤坂の黒田邸に出入りし、喜多六平太にも稽古を付けた程であった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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