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藤堂 高睦(とうどう たかちか)は、伊勢国津藩の第4代藩主。藤堂家宗家4代。 ==生涯== 先代藩主で兄の高久に嗣子がなかったため、その養嗣子となる。そして元禄16年(1703年)の高久の死去により跡を継いだ。 藩主を継いだ年、江戸では元禄地震により藩邸が崩壊し、さらに4年後には、東海地方などに甚大な被害をもたらした宝永地震・宝永大噴火が起こって藩内が大被害を受けるなど、治世は多難を極めた。そのため藩政改革を断行し、藩政の引き締めや奉行制度、家老制度、側用人制度の見直しを行なっている。 高睦には2男1女がいたが全て早世していたため、宝永5年(1708年)10月9日に高睦が42歳で死去した後は、支藩の久居藩から迎えた養嗣子の高敏が跡を継いだ。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「藤堂高睦」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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