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藤堂高虎 : ウィキペディア日本語版
藤堂高虎[とうどうたかとら]

藤堂 高虎(とうどう たかとら)は、戦国時代から江戸時代初期にかけての武将大名伊予今治藩主。後に伊勢津藩の初代藩主となる。藤堂家宗家初代。
何度も主君を変えた戦国武将として知られる。築城技術に長け、宇和島城今治城篠山城津城伊賀上野城膳所城などを築城し黒田孝高加藤清正とともに名人として知られる。高虎の築城は石垣を高く積み上げることとの設計に特徴があり、石垣の反りを重視する加藤清正と対比される。
== 生涯 ==

=== 浅井家臣時代 ===
弘治2年(1556年)1月6日、近江国犬上郡藤堂村(現・滋賀県犬上郡甲良町在士)の土豪・藤堂虎高の次男として生まれる(長兄・高則は早世)。藤堂氏は先祖代々在地の小領主であったが、戦国時代にあって没落しており、農民にまで身を落としていた〔。幼名を与吉と名乗った。
はじめ近江国の戦国大名浅井長政足軽として仕え、元亀元年(1570年)の姉川の戦いに参戦して首級を取る武功を挙げ〔、長政から感状を受ける。天正元年(1573年)に小谷城の戦い浅井氏織田信長によって滅ぼされると、浅井氏の旧臣だった阿閉貞征、次いで同じく浅井氏旧臣の磯野員昌の家臣として仕えた。やがて近江国を去り、信長の甥・織田信澄の家臣として仕えるも長続きしなかった。このように仕官先を転々として流浪生活をしている間、無銭飲食をしたという話も残っている〔楠戸義昭『戦国武将名言録』P73〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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