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藤山ハル : ウィキペディア日本語版
藤山ハル[ふじやま はる]
藤山 ハル(ふじやま はる、1900年(明治33年)4月24日 -1974年(昭和49年)3月19日)は、樺太出身のアイヌ語アイヌ文化の伝承者。
==生涯==
南樺太恵須取郡珍内町ライチシカ出身。
アイヌ名はエソホランケマハ (Esohrankemah)。通称はフシコ (Husko)。
父・原サダユキ、母・エソホランマ (Esohranma) のもとに生まれ、幼い時より年寄りにかわいがられ、アイヌ語や伝統文化を吸収しながら成長した。
戦後、ソビエトによる樺太占領の結果、北海道に移住し、1954年(昭和29年)常呂町(ところちょう)に住むことになった。
生涯を通して、アイヌ語・アイヌ文化の伝承者として、数々の研究者に協力し、樺太アイヌの言語や文化の記録・研究に大きな貢献をなした。
代表的なものとしては、服部四郎編『アイヌ語方言辞典』や、村崎恭子『カラフトアイヌ語』、大貫恵美子 (Emiko Ohnuki-Tierney) "''Ainu of the Northwest Coast of Southern Sakhalin''" などがある。
長女・金谷フサ、次女・白川八重子をはじめ、後輩の育成にも尽力し、樺太アイヌの文化を後世に伝えることについても大きく貢献した。
その知識や技能は、言語や口承文芸だけでなく、歌謡、楽器(トンコリ)、服飾、料理など、多岐にわたった。
また、トゥス(神がかり)を行うシャーマンでもあった。
1974年に第2のふるさととして永住を決め、住み続けた常呂町で死去。享年74。
彼女の眠る常呂の墓地には記念碑が建てられている。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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