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藤岡 康太(ふじおか こうた、1988年12月19日〔 - )は日本中央競馬会(JRA)の騎手である。2007年に騎手免許を取得し、2007年3月3日に初騎乗レースで初勝利。JRA史上42人目となる初騎乗・初勝利を達成する〔藤岡康太騎手、初騎乗初勝利 〕。2009年には重賞およびGIレース初勝利を挙げ〔、2015年には通算300勝を達成した〔。 調教師の藤岡健一は父、騎手の藤岡佑介は兄にあたる。 == 来歴 == 1988年、調教師である藤岡健一の二男として生まれる。兄・佑介に影響され乗馬を始め、その後父の影響で競馬の騎手を志す〔 〕。2004年に競馬学校第23期生として入学〔、同期生には浜中俊らがいた。2007年に平地・障害の免許を取得する〔障害免許は後に返上し、障害競走への騎乗は無い〕。同年、宮徹厩舎の所属となり、3月3日に中京競馬場で行われた3歳未勝利戦にて初騎乗を果たす。このレースで、父・健一の管理馬で1番人気に推されたヤマニンプロローグに騎乗した藤岡は、2着に1/2馬身差をつけ勝利、JRA史上42人目となる初騎乗・初勝利を達成した〔。また、この日の騎乗回数8回は1996年の福永祐一、1997年の武幸四郎と並ぶデビュー日最多騎乗回数タイ記録であった。 2009年にはジョーカプチーノとのコンビでファルコンステークス・NHKマイルカップ両競走を制覇し、重賞競走並びにGI競走初勝利(GI騎乗2回目での初制覇)を達成〔「【NHKマイルC(GI)】(東京)~伏兵ジョーカプチーノ 快心の2馬身差V 」ラジオNIKKEI. 2009/05/10(日) 17:39公開. http://keiba.radionikkei.jp/keiba/entry-167335.html〕。20歳4か月22日でのGI勝利はグレード制導入後では10番目のスピード記録となり〔「藤岡康太/09年初GIを勝った若手騎手インタビュー Vol.3」月刊UMAJIN編集部. http://uma-jin.net/pc/column/columnDetail.do?charaId=52&pcId=100101〕、兄・佑介よりも早いGI制覇となった。この他8月にはオーストラリアのフレミントン競馬場にて行われた「アジアヤングガンズチャレンジ」に日本代表として出場、35ポイントを獲得し優勝した〔藤岡康太騎手がアジアヤングガンズチャレンジで総合優勝 〕。 2010年、2月7日の中京第9競走でJRA通算100勝を達成〔藤岡康太騎手 JRA通算100勝達成 - ラジオNIKKEI 2010年2月7日(2015年3月21日閲覧)〕。3月26日の早朝に胸の痛みを訴え、救急車で病院に搬送される。肺気腫(後の報道では自然気胸)と診断され、この週の騎乗予定をすべて取り止めて以後休養に入り、3月31日に手術。4月10日にいったん復帰したが、4月21日に再手術のため4月11日以降ふたたび休養に入り〔藤岡康太騎手が自然気胸再手術 - 競馬ラボ 2010年4月22日(2015年3月21日閲覧)〕、再手術終了後の5月25日から調教に参加し、6月5日に復帰した〔藤岡康太騎手、病乗り越え来週復帰の予定 - スポニチAnnex 2010年5月26日(2015年3月21日閲覧)〕。しかし2011年9月18日に持病の自然気胸が再発したため騎乗を取り止め〔藤岡、左自然気胸で18日阪神3鞍は騎手変更 - スポニチAnnex 2011年9月18日(2015年3月21日閲覧)〕、10月23日から11月29日まで治療のため静養していた。 2014年10月18日、府中牝馬ステークスをディアデラマドレで優勝して、初のGII制覇〔府中牝馬S】(東京)~ディアデラマドレが重賞2勝目 - ラジオNIKKEI 2014年10月18日(2015年3月21日閲覧)〕。この年は自身最多の年間51勝を記録している。 2015年3月22日、中京2Rをティーポイズンで制し、JRA通算300勝を達成〔藤岡康太騎手がJRA通算300勝達成 - ラジオNIKKEI 2015年3月22日(2015年3月22日閲覧)〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「藤岡康太」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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