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藤巻 幸大(ふじまき ゆきお、本名:藤巻 幸夫(読み同じ)、1960年1月5日〔2010年(平成22年)6月30日参議院比例代表選出議員選挙選挙長告示第1号「平成二十二年七月十一日執行の参議院比例代表選出議員の選挙において、政党その他の政治団体から参議院名簿の届出があった件」〕 - 2014年3月15日〔『官報』第6252号9ページ「国会事項 参議院 議員死去」、2014年(平成26年)3月18日〕)は、日本の実業家、政治家。参議院議員を1期務めた。東京都出身。上智大学卒業〔。政治活動上は本名の「藤巻幸夫」を用いた。 == 概要 == 神奈川県立港北高等学校を経て上智大学経済学部経営学科卒業後、伊勢丹に入社。ブランディング、ショッププロデュース等の実績から、カリスマバイヤーとして注目される。伊勢丹では「バーニーズ・ジャパン」、「解放区」、「リ・スタイル」等の事業やブランドの立ち上げを担当〔。独立後はアパレル会社等を経て、2003年に福助代表取締役社長に就任。約1年半で経営再建に成功する。2005年からはセブンアンドアイ生活デザイン研究所代表取締役社長、イトーヨーカ堂取締役執行役員衣料事業部長、セブン&アイ出版取締役を兼任し同社衣料部門の立て直しに取組む。まず着手したビジュアル・マーチャンダイジング注力による「買いやすい店」への改革で結果を出すが、続く新ブランドの展開では目標の売上げに達せず、体調を崩したこともあり、いずれも2008年までに退任した。 その後はフジマキ・ジャパン副社長、藤巻兄弟社社長、シカタ代表取締役プロデューサー、テトラスター社長、トランジットジェネラルオフィス特別顧問、ビーバイイー社外取締役、新世界百貨店(韓国)顧問、アズウェーブ顧問等を兼任。また、ザッパラスにより運営されるWebサイト「藤巻百貨店」のプロデュースを行なった。 教育分野の活動もあり、明治大学研究・知財戦略機構特任教授、昭和女子大学生活科学部客員教授、アカデミーヒルズ「日本元気塾」講師や各種講演会の講師、また、日本流行色協会「レディースカラー」選定委員等の審査員を務める。著作の執筆、新聞・雑誌の記事連載やコメンテーターとしてのテレビ番組出演等、マスコミにも多く登場した。 2010年7月にはみんなの党から第22回参議院議員通常選挙に出馬、落選するが、2012年12月に第46回衆議院議員総選挙立候補により、当選者が退職(自動的に失職)したことにより参議院議員へ繰り上げ当選〔2012年(平成24年)12月14日中央選挙管理会告示第36号「平成二十二年七月十一日執行の参議院比例代表選出議員の選挙における名簿届出政党等に係る欠員による繰上補充による当選人の住所及び氏名に関する件」〕。参議院では国土交通委員会委員となり、ビジットジャパンの施策や日本の「デザイン戦略」を提唱、「クールジャパン」を売り込む活動にも関わった。2013年12月に江田憲司らと共に結いの党結党に参加するが、直後にすい炎を患い入院。 2014年3月15日〔、都内の病院で大動脈破裂のため死去。54歳没。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「藤巻幸大」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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