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藤波言忠 : ウィキペディア日本語版
藤波言忠[ふじなみ ことただ]

藤波 言忠(ふじなみ ことただ、嘉永6年9月12日1853年10月14日) - 大正15年(1926年5月24日)は、日本の華族宮中顧問官、政治家。子爵
== 生涯 ==
広橋邸にて広橋胤保の次男として生まれる。文久3年(1863年)頃に藤波教忠養子となる。明治5年(1872年)に福羽美静の門弟となる。同級に元田永孚加藤弘之がいた。
明治10年(1877年)に侍従試補に、明治12年(1879年)には侍従になる。明治17年(1884年)7月8日に子爵を授かる。明治22年(1889年)には侍従を退き、宮内省主馬頭になる。この間にウィーンに派遣され、国家学ローレンツ・フォン・シュタインに学んだ。帰国後にした進講は四か月ほどで33回もした。明治天皇昭憲皇太后両方の崩御の時にどちらとも大喪使事務官を務めた。翌年に延期された大正天皇大礼使車部長を務め、大正5年(1916年)1月8日に主馬頭を辞め、専任宮中顧問官貴族院勅選議員となる〔『官報』第1029号、大正5年1月10日。〕。同年から『明治天皇紀』の編修に尽くしたが、完成前の大正15年(1926年)5月25日に死去。享年74。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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