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藤田富士男 : ウィキペディア日本語版
藤田富士男[ふじた ふじお]

藤田富士男(ふじた ふじお、1949年8月27日 - )は、日本の演劇研究家、作家
== 略歴 ==
1949年熊本県人吉市に生まれる。熊本県立人吉高等学校中央大学明治大学を経て、法政大学大学院博士課程単位取得。1980年より1年半、メキシコ国立自治大学留学不二女子高等学校在職中の1989年、『ビバ!エル・テアトロ!炎の演出家佐野碩の生涯』を出版。以後、埼玉短期大学助教授)、相模女子大学講師)。
1997年「佐野碩シンポジウム」参加(メキシコ市)。1998年「国際演劇学会」参加(メキシコ-プエブラ市)。
2006年メキシコ市内で3人組の強盗に遭い、致命的な傷を負い、さらに半年後、脳梗塞で入院。療養リハビリに専念した甲斐あって4年でほぼ完治し、2011年より執筆活動を再開。
2011年11月「国際シンポジウム 1920-1960年代のメキシコにおける日本人芸術家」に参加(メキシコ市)。2012年4月より「芸術-平澤計七佐野碩」連載(『われらのインター』~2013年2月、全6回)。その他「続・木村駒子伝」「キリシタン侍-丸目蔵人」等を執筆。
2012年12月より、早稲田大学演劇博物館招聘研究員となる。2013年1月より、早稲田大学エクステンションセンター講師。
同年3月1日早稲田大学小野記念講堂で行われる座談会「佐野碩再考」にパネラーとして参加〔〕。これは企画展示『佐野碩と世界演劇―日本・ロシア・メキシコ “芸術は民衆のものだ”―』展 の一環として行われた。また同年4月9日、同題によるオムニバス講座において初回講義「佐野碩と日本演劇」を担当。
2014年4月「中国大連におけるプロレタリア演劇活動の終盤戦」執筆(『演劇博物館紀要』37号)。同年6月、にいがた文化の記憶館(http://nmmc.jp/ )における平澤計七のパネル展示に協力(資料提供)。10月からアンソロジー『芸術は民衆のものだ』を藤原書店より共同執筆。
藤原書店より2015年12月刊行の『佐野碩 人と仕事1905-1966』に「佐野碩の時代の政治演劇とその外延」を寄稿。同時に、資料(写真等)を多数提供。
2015年、『一に人 二に人 三に人 近代日本と「後藤新平山脈」100人』(後藤新平研究会、藤原書店)に資料提供。
木村駒子の芸術大学」執筆、早稲田大学演劇博物館『演劇研究』第39号(2016年1月)掲載予定。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「藤田富士男」の詳細全文を読む



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