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藤田 浩一(ふじた こういち、1947年3月21日 - 2009年10月11日)は、日本のギタリスト、作詞家、作曲家、音楽プロデューサー、実業家。トライアングルプロダクション、バミューダ音楽出版の社長を務めた。 == 来歴 == 1967年、GSの「アウト・キャスト」のメンバー(リズム・ギター)としてデビュー。作詞・作曲を手掛け、1969年には「The Love」を結成し、リード・ギターを務めた。 The Love解散後は、音楽制作、プロモーター、マネージメントなどを手がけ、プロデューサーへの下地作りの活動をする。また、かまやつひろしのマネージメント・プロモーションを手掛けたり、ベイシティローラーズのコンサートフィルムをイギリスで購入し、日本全国の映画館で上映した。 1975年4月24日、音楽事務所「トライアングル・プロダクション」を設立。1977年、かまやつの紹介によりレイジーのプロデュースを手がけ、これをきっかけにプロデューサー業を本格的に始める。 1979年、角松敏生のデモテープを聞きスカウト。角松は1981年に、シングル「YOKOHAMA Twilight Time」でデビュー。同年6月1日、「バミューダ音楽出版」を設立。 1980年、レイジーのキーボーディスト井上俊次と、3人組コーラスグループ「トロワ (日本のコーラス・グループ)」による4人組ユニット「ビッグバン (日本のロックバンド)」をプロデュース。1981年3月に、シングル「愛のコリーダ (曲)」でデビューさせた。 1983年には杉山清貴&オメガトライブ(杉山清貴)を、1984年に菊池桃子をデビューさせた。 杉山清貴&オメガトライブ、菊池桃子は立て続けにヒットし、その後、1986オメガトライブやカルロス・トシキ&オメガトライブなども商業的に成功を収め、藤田のプロデュース作品を総称して「トライアングル・サウンド」と呼ばれた。 1995年以降はプロデュース業を休止し、社長業に専念したため、ほとんどの所属していたアーティストが他の事務所に移籍した。2009年10月11日、死去。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「藤田浩一」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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