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藻璧門院但馬
藻璧門院但馬〔「藻璧門院但馬」、デジタル版日本人名大辞典+Plus、コトバンク 〕(そうへきもんいんのたじま、生没年不詳)は、鎌倉時代初期の歌人である。父は『新古今和歌集』の撰者の一人でもある勅撰歌人の源家長〔『新古今和歌集』に3首、『新勅撰和歌集』に8首、『続後撰和歌集』に7首、『続古今和歌集』に2首、その他の勅撰集に計15首、都合35首が勅撰集に入集している。〕、母はやはり勅撰歌人の後鳥羽院下野〔『新古今和歌集』に2首、『新勅撰和歌集』に2首、『続後撰和歌集』に6首、『続古今和歌集』に6首、その他の勅撰集に計14首、都合30首が勅撰集に入集している。〕。 なお二字目の「ヘキ」は「完璧」の「璧」(下のつくりが「玉」)が正しい字だが、「岸壁」の「壁」(下のつくりが「土」)を用いた「藻壁門院但馬」とした文献も古来より非常に多く見られるため注意を要する〔但馬が女房として仕えたことからその女房名の一部として用いられるようになった女院・藻璧門院の院号は、平安京大内裏ののひとつ藻壁門(西中御門)の名称に由来するものだが、藻が絡みついた土壁を想わせるその字面は不気味で女院の院号としては不吉ではないかということで、あえて「壁」を別字ながら同音でしかも形もよく似た「璧」(意味は「宝石」)に差し替えたという経緯がある。したがって門の名称としては「藻壁門」正しく、女院の院号としては「藻璧門院」が正しい。そしてその女院に仕える女房が女院の院号を自らの通称に冠することで独自の呼称とした女房名も、やはり「藻璧門院但馬」が正しい。しかし時代と筆写を重ねるごとに、草書体ではその判別が難しい「璧」と「壁」の二字は混同され、その結果数多くの権威ある文献においてすら藻璧門院但馬の名は藻壁門院但馬と記されて今日に伝わることになった。なお「藻壁」か「藻璧」かについては、そもそもその女院の院号定めの時から相当の混乱と混同があったことが藤原定家の日記『明月記』の中にも記されている(天福元年四月廿五日條)。 ''→ 詳細は「九条竴子」項および「藻璧門院少将」項を参照。''〕。
== 来歴 == 後堀河天皇の中宮で国母となった九条竴子(後の藻璧門院)に出仕。但馬守だった父・家長にちなんで但馬と呼ばれる。母と共に九条家歌壇で活躍。後嵯峨院歌壇でも百首歌作者に選ばれた。『新勅撰和歌集』以降の勅撰集や歌合などに作品を残している。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「藻璧門院但馬」の詳細全文を読む
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