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蘆名 盛滋(あしな もりしげ)は、戦国時代の武将。蘆名氏第14代当主。 == 経歴 == 文明14年(1482年)、第13代当主・蘆名盛高の子として生まれる。 武勇に優れ、文亀元年(1500年)には父に従って猪苗代盛頼を討っている。しかし次第に父・盛高と対立を深め、永正2年(1505年)、重臣・松本氏の支援を受けて盛高と合戦に及んだが、敗れて伊達尚宗の下に逃走した。 後に盛高と和解して帰国し、永正14年(西暦では翌1518年)12月、盛高の死により家督を相続した。永正17年(1520年)には伊達稙宗の援軍として上山城主・最上義房と戦っている。 永正18年(1521年)2月6日、死去。享年40。実子・盛幸が居たが、弟の盛舜が家督を相続したため、盛幸は別家・針生氏を興した。 盛滋の生没年には異説が多く、生年には寛正4年(1463年)説もあり、没年には天文9年(1540年)6月23日(享年59)説もある。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「蘆名盛滋」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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