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蘆野政泰[あしの まさやす]
蘆野 政泰(あしの まさやす)は、安土桃山時代から江戸時代にかけての武将、旗本。交代寄合蘆野氏初代。 == 生涯 == 下野国の那須氏に属して那須七騎の一つに数えられた蘆野氏の当主、蘆野盛泰(知行800石)の長男として生まれる。 慶長4年(1599年)、父盛泰の急逝によりわずか8歳で家督を相続し、この年に上洛して豊臣秀頼に謁見した。慶長5年(1600年)には江戸へ行き、初めて徳川家康に拝謁。同年の関ヶ原の戦いでは周辺の那須衆ともども徳川家康率いる東軍に付き、政泰は老母を江戸に人質として送って二心無き事の証明を立て、上杉景勝の南下に備えて蘆野の防備を固めた。これらの功で戦後に300石を追加される。 慶長7年(1602年)に先の合戦で西軍についた常陸国の佐竹義宣が所領を移される際には、伊王野資信と共に義宣の所領である山能に赴き、同地の守備にあたった。この年に更に1,600石の加増を受け、政泰の知行は合わせて2,700石となっている。 慶長16年(1611年)に急逝。享年20。跡を嫡男の蘆野資泰が継いだ。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「蘆野政泰」の詳細全文を読む
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