翻訳と辞書 |
蘭京[らん けい] 蘭京(らん けい、生年不詳 - 549年)は、中国の南北朝時代の人物。またの名を固成。東魏の権臣高澄を殺害したことで知られる。 == 経歴 == 南朝梁の将軍の蘭欽の子として生まれた。東魏の軍に捕らえられて、奴隷に落とされ、高澄の家の厨房で働くこととなった。蘭欽が蘭京の身柄を金銭で贖おうとしたが、高澄は許さなかった。また蘭京も自身の解放を高澄に訴えたが、高澄は監厨蒼頭の薛豊洛に命じて、蘭京に杖罰を加えた。蘭京はこのことを恨んで、弟の阿改を含む仲間の6人とともに反乱の計画を練った。 549年(武定7年)8月辛卯、高澄は東魏の孝静帝からの禅譲を受けるべく、晋陽の北城の東栢堂で陳元康や楊愔・崔季舒らとともに人事の密談をしており、他の側近や護衛たちを遠ざけていた。蘭京は食事を進上する機会に、刀を盤に隠して高澄に近づき、斬りつけた。高澄は牀の下に隠れたが、蘭京は牀を引きはがして殺害した。陳元康は高澄をかばおうとして刺され、その夜に亡くなった。楊愔は狼狽して逃げ出し、現場に片方の靴を残していった。崔季舒は逃げて厠に隠れた。庫直の紇奚舎楽は蘭京らと戦って死に、散都督の王師羅は戦傷を受けた。薛豊洛は宰人(料理人)を率い薪を持って現場に赴き、蘭京らに捕らえられた。 ときに高澄の弟の太原公高洋が城東の双堂にいたが、事件を知って現地に赴いた。蘭京らは高洋率いる兵に掃討されて全滅した。蘭京らの遺体は高洋自らに斬り刻まれ、その頭蓋骨は漆塗りにされた。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「蘭京」の詳細全文を読む
スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース |
Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.
|
|