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虎哉宗乙[こさい そういつ] 虎哉 宗乙(こさい そういつ、享禄3年(1530年) - 慶長16年5月8日(1611年6月18日))は、戦国時代から江戸時代にかけての臨済宗妙心寺派の僧。諡号は仏海慈雲禅師。 == 生涯 == 享禄3年(1530年)、美濃国にて誕生。 甲斐国で岐秀元伯、快川紹喜に師事した後、元亀3年(1572年)に、陸奥国の大名・伊達輝宗の叔父で東昌寺住職・大有康甫と親交があった縁から、輝宗の招聘を受けた。一度は固辞したものの再度の要請に応え、嫡男・伊達政宗の学問の師となると共に、米沢近郊(現在の山形県高畠町)の資福寺住職となった。天正14年(1586年)には輝宗の菩提を弔う覚範寺の開山となり、後に政宗の移封に従って岩出山、仙台と移った。なお政宗とは終生、師弟の関係にあったとされる。 慶長16年(1611年)、死去。下野雲岩寺の僧・大虫宗岑と並んで「天下の二甘露門」と称された。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「虎哉宗乙」の詳細全文を読む
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